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【問題提起】スポーツ業界はなぜ「骨の限界」より「筋肉の成長」を優先するのか

  • 執筆者の写真: 森 雅昭(かけっこ走り方教室/体操教室枚方市/大阪/京都
    森 雅昭(かけっこ走り方教室/体操教室枚方市/大阪/京都
  • 2 時間前
  • 読了時間: 3分

――資本主義が正当化する“壊れる前提の身体”


強靭な筋肉は賞賛される。

しかし、骨が悲鳴を上げた瞬間、その身体は価値を失う。


現代のスポーツ界では、「筋肉を鍛えること」は正義として語られる。筋力、瞬発力、ボディメイク。トレーニング理論もメディアも、すべてが“目に見える成長”を追いかける。一方で、骨密度の低下、関節の摩耗、疲労骨折といった問題は、まるで存在しないかのように扱われる。


なぜここまで偏るのか。

理由は明確だ。

骨はビジネスになりにくいからである。


筋肉は短期間で変化し、数字と映像で成果を演出できる。指導者は「結果」を語れ、チームは勝利を売りにでき、企業は広告価値を最大化できる。しかし骨は違う。時間がかかり、変化が見えず、しかも無理をすれば簡単に壊れる。

資本主義の論理において、これほど扱いづらい対象はない。


スポーツ業界は理想論で語られるが、実態は冷徹な市場だ。

アスリートは「人材」ではなく「資源」。

消耗すれば交換される存在である。


だからこそ、トレーニング現場では「将来の健康」より「今の結果」が優先される。来年どうなるかより、今大会で勝てるか。長い人生より、短期的な成績。これは個々の指導者の倫理の問題ではなく、構造的にそう設計されている。


特に深刻なのが、若年層への影響だ。

骨格が完成していない段階から、過剰な負荷をかけ、筋力だけを引き上げる。成長期の骨や関節に取り返しのつかないダメージを残しても、「上を目指すなら必要な犠牲」として処理される。


だが問いたい。

その犠牲で得をしているのは誰なのか。


怪我をした選手が表舞台から消えると、社会は簡単に言う。

「自己管理不足」「プロ失格」。

しかし、壊れることを前提に回るシステムの中で、個人だけに責任を負わせるのはあまりに都合が良すぎる。


筋肉を過剰に持ち上げ、骨の限界を無視する文化は、スポーツ特有の問題ではない。

成果を急ぎ、使い潰し、交換する――資本主義社会そのものだ。


目に見える成長だけが評価され、

見えないリスクは無視される。


もしスポーツが本当に人間の可能性を広げる営みであるなら、

最初に守られるべきは「壊れない身体」と「競技後の人生」のはずだ。


しかし現実は違う。

だから今日もまた、称賛の裏側で、静かに身体が壊れていく。


この構造を美談として語り続ける限り、

スポーツ業界は変わらない。

壊れる順番が回ってきていないだけなのだから。






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